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病気についての基本的な考え方

学とみ子のホームページは、病気をかかえる方ご自身が、病気の原因を考え、経過を見通すことができるためのサポートをめざして、公開されています。

ホームページの読者の方々が、病気を感じた時、“大事であると思う” ことを、直接医師に伝えることにより、診療や診断の質は上がります。
体に感じる諸症状のうち、“大事であると思う” ”医師に伝えたい” 情報を選び取るスキルアップをめざします。

今は巷に、医療に対する不信を募らせるための情報が蔓延しています。
これらは、本を売るため、商品を売るためのものです。
医療不信をあおる極端な考え方は、こうした類の情報です。
例えば次のような文言です。
 医者は儲ける為でたらめを言います。おいしい患者にならないよう気をつけて。
 今のあなたの受けている治療は、間違っています。無駄です。
 薬は危険ですから、病気は薬を使わないで治すべきです
 以上のことさえすれば、病気は治ります。
 他では治せない病気を治せます。
 すばらしい薬や治療法を開発しました!

こうしたあおるためのでたらめ情報は、巷に溢れています。大風呂敷には、乗ってはいけません。問題となる情報源を流す人は、いろいろです。医師である場合も、医師でない場合も、両方あります。医師免許を持つ人の資質もさまざまです。

昔、高名な研究者だった医師でも、判断力が衰えて、メーカーの言いなりに広告塔となり、過大広告に協力したりしています。
あるいは、昔その医師が手がけて開発した新薬の治療薬がすでに否定されていても、あきらめられず、有効性の大風呂敷を広げたりする医師もいます。
概して、こうした我田引水の情報には、
 他の人を強くけなす、
 自らの正当性を強く主張する、
 書き手が自己主張したい、
 しかるべき権威あるものに対抗する、
 別の考え方の可能性には触れない、
 書き手あるいはスポンサーが儲かる 
 私費をなげうつ、

などの背景があります。

しかし、医療の現場で医療を担う医師たちは、もっと謙虚で、地道なものです。
本当の医療人との信頼関係を築くための情報をさがしましょう。
信頼関係には、医療全般と医師個人の限界を知ることも含まれます。医療や医師個人に対し、過度で理不尽な期待を持つことは、失望の元となっていくことが多いです。

それでは、レッスンを始めましょう!

レッスン1 あなたご自身による正しい判断をめざします。

人は病気を得た時、疑問に思うことや、もっと知りたい事などで、心が一杯になります。なぜ、治らないのか?とあせります。病気になるのはおかしい!治らないのはおかしい!と思います。

そうした時に、ご自身で医学情報を検索しようと思う方はかなり多いと思います。
今はインターネット時代で、誰でも病気に関連する情報を引き出すことができますが、広告や私見などが多く、豊富なインターネット情報の中から有用なものを選択することは難しいものです。

特に病気の考え方や医療の受け方については、個人の考え方の違いが大きいです。人は病気を得た時、それまでの生き方、価値観、経験を生かしながら治療の選択をします。すぐ結論の見えない慢性の病気についてはなおさらです。当面の緊急性が無い病気や健康の在り方については、自分自身の価値観に基づき考えていくことが必要になります。

日本における医療サービスは、広く浅くで、用意されています。さらに、超高齢化時代を迎えて大きく変化してきています。医療をささえる財政が不足して、社会保障が薄くなる時代になっています。

豊かな時代に育った今の若い人は、けなされる経験が無いためメンタルに弱く、貧しさから這い上がる親たちを見ていません。豊かな社会なのに、格差が大きく、働く条件も悪化しています。キャリアアップができる若者は少ないです。そんな彼らから、高齢者の24時間サービスの財源など確保できるわけがありません。”医療を受けないのが高齢者たるべき”の心構えの啓発なども盛んです。老人にはお金をかけない時代は、どんどん迫っています。

誰でも老人になるわけで、自分の資産の範囲で、医療の質も深さも決める時代になります。病気を抱える方は、ご自身で考え判断しないと後悔が残ります。

医療費が逼迫しているのに、一方で、過剰で無駄な医療があります。
健康不安をあおる宣伝、薬の過剰効果を宣伝するなど、医療の正当性が揺らいでいます。無駄な医療、詐欺的な医療にはまってはいけません。

医師の裁量権は、広く認められて、医師の思い込みによる保険の利かない治療も宣伝されています。他のすべての医師たちが認めないような特殊な治療を行う医師もいます。
もちろん、こうした問題ある治療や医師は、一部です。ユーザーが賢くなれば、こうした診療は無くなっていくものです。

一般的に、医師は良心に基づいて、標準的な治療を行います。それから、個人の病気や反応性の違いによって、治療は変化していきます。

医師は、最初に、病気で悩める人から良く話を聞きます。次に診断し、そして治療方法の提案をします。医師は必ずしも病気が治せるとは限らないのですが、無駄な不安を取り除き、病気の展望を示そうとします。

当サイトでは、こうした医師による思考の経過もご紹介したいです。
診療サービスの在り方を皆さまと一緒に考え、このホームページの内容に盛り込んで、充実させていきたいと思います。

レッスン2 診療機関(医院、病院」を受診する前に、次のことを心得ておきましょう。

1) 医療機関(医師)は、何ができるところなのか?
2) 医師は、“明日の症状は、どうなりそうか?”を推定します。医師は、正確な予知能はありませんが、可能性が高い経過を予想できます。
3) 医師から診断名をもらうことをあせらない。
4) 病気の起き方のしくみを知る。

1)医療機関(医師)は、何ができるところなのか?
緊急的に重い病気、進行性の病気、放置してはいけない病気がないかどうかをみつけようとするところです。
症状が軽い場合には、様子を見ます。医師が様子を見る理由は、現時点では結論が出ず、経過を見ながら考える作業が必要であるという状態です。

2)医師は、“明日の症状は、どうなりそうか?”を判断します。
医師は、病気の明日の状態を予想します。しかし、かならずしも、当らない場合があります。この後の起きてくる病気の経過を、正確に予想することはできません。

よくドラマに出てくる医師のせりふで、「明日には良くなるでしょう、お大事に!」は、昔のドクターのせりふです。こうした言葉は、本当に使われたのでしょうか?脚本家の夢想ではないかと思ったりします。
なぜ、ドラマに良くでてくる医師のせりふになっているのでしょうか?

急性の病気は、多くは自然に治ります。放置しても、人の抵抗力(免疫)で、治ります。治るでしょうと、医師が行っておけば、かなり当たります。
だから、はったり好きな医師は、使ったかもしれません。

昔も、自然に治る(免疫が治す)病気が中心だったでしょう。
しかし、昔は、そうでない病気であれば、診断は困難で、事は重大でした。治療法も闇の中です。病気が進んで行っても、診断がつきませんでした。
昔の人々は、病気が良くならない経験を多く持ち合わせていました。そして病気の悪化が突発的におきる覚悟を持っていました。医師や医療の限界は日常的なことでした。

医師の言葉は、“当たらない” ことを、昔の人々は了解していました。今より、病気の経過が予想不能であったのです。
もちろん、今でも、病気は予想を超えるものです。むしろ、医学の進んだ今は、このせりふは、無責任とのそしりを受けやすく、医師は使わない気がします。

万一、「明日には良くなるでしょう、お大事に!」と言われたら、医師のせりふは、可能性という前置き付きであることを忘れないでください。

医師には、正確な予知能は無いものの、確率が高く起きそうなことを予想します。つまり、現状の判断は、ある程度できます。
しかし、この医師の予測能力は一律ではありません。優れた医師でも、ある病気では、専門的判断ができても、他の病気では無能です。専門医は、万能ではありません。専門医とは、そこしか知らない医師であるかもしれません。

医師によって言うことが違う時は、どう考えたら良いでしょうか?
違う医師が、違うことを言うというのは、よくあることです。重い病気は、医師による違いが少なく、軽い病気だと、医師による違いが大きいと思います。
医師が発する言葉の微妙な違いがある時は、医師も又、悩んでいるかもしれません。
医師が、このまま、この方を診ていて大丈夫だろうか?と悩んでいたり、不安に思っていたりしているのかもしれません。時には、医師が何を考えているのか、想定してみてください。
過剰な医師への期待に気づき、思い直すことができるかもしれません。

診療現場では、医師と患者様のお互いの率直さというのが、信頼関係を築きます。信頼し合う状況を作り、いろいろ聞いてみてください。信頼関係が無ければ、どのような会話も意味を持たなくなります。

3)診断名をもらうことをあせらない。
自然に治まる症状については、原因がはっきりしないものが多いです。
診断名がつかず、様子を見ましょうといわれたら、まず、安心してください。

病気を抱える人自身が、医師の判断材料となる情報を提供できれば、医師の判断の精度が増します。特に、短時間の診療時間では、患者さんの方から「○○が症状の原因ではないか?」などと質問していくことで、医師の判断が良くなることがあります。
しかし、それがいつでも機能するとは、限りません。
たとえば、患者さんが、「風邪だと思います」と医師に言うのは、あまりお勧めできません。むしろ、「風邪ですぐ治った人がそばにいました」は、意味ある訴えです。

診断名がつかない場合は、軽い病気や自然に治まる病気が多いのです。
軽い状態であれば、必ずしも通院や治療は必要がないものもあります。しかし、治ってからでないと、軽く済むとは言えません。
診断名そのものに、あまり意味のないものもあります。原因や治療法の無い病気なら、診断しても、意味のないこともあります。
しばしば、診断名や他の病気との鑑別はあいまいなものです。ひとつの診断名でも、ぴんきりの重症度である場合もあります。つまり、放置できるものから、厳密に治療を要するものまでなどです。

4)病気の起き方の基本的なしくみを学ぶ。
まずは「日常的な病気についての基本的考え方」をご紹介致します。そのコンセプトは以下の通りです。

私たちが日頃元気に暮らす中で、病気になったかも?と感じる時は、何らかの症状に気づく時です。実は、症状が出ると言うことは、病気が進まないようにするためです。

熱が出る、どこかが痛い、どこかが腫れている、などが代表的なものですが、これは体が作りだす防御反応(免疫反応)です。体の内部に、病原体や異物の侵入するなどして、異変が起きた時、体は反応して排除し、回復に向かおうとします。反応(症状)を気付く時、私たちは病気になったと感じます。

防御能が高い人では、症状は起きません。異物は排除されてしまい、病原体は体の中で増えることができません。
多くの人では、普段は、健康で、症状に気づかず、気持ち良く健康が保たれます。しかし、体の中では、健康を維持するための戦いはあり、それに勝利しているので、症状はでないのです。静かなる戦いで勝っていたり、戦う前に勝っていたりしています。

人はいつまでも万全な体を保てるわけではありません。いろいろな理由で、防御能が低下し、静かなる戦いでは、間に合わず、症状を出しながら、戦いを強化しなければならなくなります。
すぐ、風邪をひく、すぐ痛くなる、すぐ腫れるなどが起きてきます。
免疫が低下すれば、簡単には体の内外の敵に勝てないような状況になっているのです。
加齢、お酒、タバコ、ストレス、有害な環境物質など、健康を害する要素は人さまざまです。そして、この有害物質を排除、消去できる個人の能力もさまざまです。
体内に侵入した異物や、病原体が重大であれば、排除のための反応も増大し、症状は悪化します。その人の免疫力の能力を超えてしまえば、排除活動は低下し、人が負けます(死にます)。重症であれば、熱が出ない、症状が弱くなるなどです。

病気にならないのは偶然の幸運ではなく、理由があります。その人の免疫力が正しく働いているからです。
このコンセプトを理解すれば、病気を得た時に、あせらないですみます。すぐに病気が治まらなくても、希望を持ち続けることができるようになります。

病気が治るためには、個人ごとの(免疫)能力と、時の条件(運)があります。
はまず、病気の道筋体の変調を感じた時の考え方のヒントをクリックすることから始めてみてください。

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