薬・サプリについて

薬・サプリ情報に関する当ホームページの見解 

薬・サプリ情報:独立行政法人国立健康・栄養研究所
健康食品公的情報:健康食品の安全性・有効性 特別用途食品・栄養療法エビデンス

製薬メーカーも、食品メーカーも、商品を売るために宣伝をします。
しかし、ユーザーが得たいのは、客観的な情報です。

会社は収益をあげるのが目的なため、どうしても、過剰な効果を謳う傾向があります。時には、人々に誤解を誘い、誤解が解けないうちに、たくさん売ろうと画策します。
そんなメーカーの意図が、みえみえのこともあるし、隠れていることもあります。
昨今、食品会社も偽装事件などで、厳しい世間の批判を浴びるようになりました。

しかし、薬と食品の宣伝方法は、違っていなくてはなりません。
薬は、やむを得ず使うもの、食品は、生命に必須物質として体に入れるもの、と、ここが両者の大きな違いです。
もし薬が食品と同じコンセプトで売られたら、健康不安をあおり、病気であると思わせ、薬が必要であると錯覚を持たせるように誘導することになります。

薬として認可されていない薬擬似食品(サプリ)などでは、健康を高める効果はなくとも、ユーザーはわからず、その気にさせるだけで、売れます。つまり、薬擬似食品(サプリ)をとることにより、健康になるとの錯覚を誘います。
そして、機能性食品などは、理論をすり替えて、あえて、誤解をあおるように宣伝します。規制局も、そこを見て見ぬふりをしていると思います。

肥満体には、脂身の少ない蛋白質が良いに決まっているし、健康体でも、糖分の入った飲み物より、お茶の方が良いに決まっています。そこをあいまいにして、いかにもその食品自体が、健康を高める効果を持っているかのように見せるのです。

時には、薬擬似食品(サプリ)が、病気を治すくらいのことも謳ってきます。食品であれば、何でも許されるからです。これも世界的な傾向で、ユーチューブでも、過剰なサプリの効能を謳う英語の動画が多いです。多数の疫学論文で、サプリの無効性を証明しても、関心を持つのは、専門家のみで、一般ユーザーには、届きません。

食品メーカーの社内には、売れれば良いとの会社方針があります。
次々と、新製品が取って代わる市場原理では、新製品の効果を確かめる作業などは必要とされないのです。無効果と、確かめられようもありません。誰かが、必死に、効果が無いと証明しても、そんなことは笑われます。
食品の効果は、長期的効果はもちろん、短期的効果についても、誰も確かめたりしなくて良いのです。

そして製品の寿命は短く、次々に新たな戦略と使命を持った新製品に入れ替わります。人々がメーカーのしかけた錯覚に乗らないなら、別の錯覚づくりに移っていくのです。

しかし、薬も食品も、企業は売れば良いだけでなく、社会貢献もめざすはずです。が、昨今は、そうした企業モラルが低下しているような気がします。
おそらく、社内の研究者たちは、「これが効くわけないよな!」と思っていると想像しますが、会社から給料をいただいている限り、良心に反したデータづくりしていると思います(涙)。
薬メーカーも、効果を最大に宣伝し、都合の悪いことは隠します。ワクチン効果も、目いっぱい広げます。

しかし、薬は、低頻度でも、副作用を明記しなければならない法律のしばりがあります。規制が厳しく、効果のデータの正当性も厳しく追求されます。
実際に、薬の使用後には、特殊反応がでてくる人の記録をとりますので、10万人に一人の事実も積み重なってきます。

元々、製薬メーカーには、社内に科学を追求する歴史と精神があります。科学的裏づけがなければ、薬はつくれないからです。副作用や効果を判定するための知識と経験が厚いです。

しかし、その企業の精神性が、損なわれる事件が起きました。降圧剤のデータが操作されてしまったのです。降圧剤の効果が良すぎてしまい、臨床医に疑問を持たれてしまいました。データ公開時から、医師の間では問題になっていました。
これは、あってはならないことなのですが、製薬メーカーとはそうしたものであることも示してしまいました。

薬の添付文書には、体の広範囲にわたり、副作用がくわしく書かれています。そのため人々の間では、副作用が多すぎて把握できないとの声があります。

しかし、薬に関する情報は多いに越したことはありません。幸いなことに、日本人の情報を読み解く力は、明らかに向上しています。結局、薬をのむ人の判断が大切で、お任せではだめなのです。処方薬をやめたい時は、なぜ、止めたいのか、医師と良く話し合う必要があります。

昔の医療や処方薬は、秘密めいていました。医師は話さず、処方薬には何が入っているかは、明らかにされませんでした。こうした昔のスタイルの医療は、名医のお見立て頼みで、薬の中身の秘密性は当然でした。教えてたまるか!とした閉鎖性・秘密性が、医療界にはびこっていました。どの医者も同じような治療なら、名医にはなれなかったのです。はったりと、勘がものをいう医者の世界でした。
それは日本だけではなく、世界的な傾向でした。記録の残る19世紀の後半から、戦争中などには、すごい挑戦的治療がされていたと思います。

昔の医師は、病気の原因もわからず、先が見えませんでした。そもそも、体の働きを知りませんでした。人の脳の働きも、尿のでき方もなんも、わからなかったのです。だから、医師は魔術師のように、わかったふりを装い、秘密めいている必要があったのでしょう。専門知識は、特別の派閥にしか、伝えられませんでした。流派がいくつもあり、真実とされることは、複数にあったのです。

今も昔も、変わらないことは、医師は、ひとりの患者さんを前に、多くの疑問を持ちながらも、方針を出さなければならないことです。その結果、医師によって言うことが違っても仕方ないのです。医学が進んだ今でも、まだ、病気の完全理解からは程遠く、病気の先も、薬の効き具合も、それほど見えるものではありません。

薬は、体を変調させるものです。毒の一部とも言えます。そこが、体に必須の食品とは違うところです。

毒物学が、すばらしく進歩し、体系づけられました。人に強く作用する毒性の物質のほとんどは、すでに明らかにされました。特に、人に同じように強く作用する毒は、毒の判定が容易でした。毒とは、ほとんどの人が反応を起こすもの、皆、同じ症状を起こすもの、につけられる用語です。

毒や薬の作用は、100人に一人位の頻度で起きる物質なら、明らかになったでしょう。しかし、1000人に一人の頻度でしか、作用が出ない物質では、わからなかったのではないかと思います。何しろ、使用経験は公にされなかったからです。今でも、漢方薬の毒性は、明らかになっていないのです。

薬は、多くの人に似たような作用を及ぼすことが証明されている物質であるとも言えます。しかし、食品は、そうしたものではありません。食品は、長い経験から、日常的に食べても、安全であるということが証明されたもの!と言えます。

長い、生き物の歴史の中で、食べ物はエネルギーとなり、体を作り、生命に必須のものでした。生命を維持するために、危険な食べ物を見分け、人々は、決してそれを食べないという知恵を積み重ねてきました。

もし、食品の中で、体に作用する物質が入っていれば、人々は、そこに注意しました。そういう食品を、多く食べれば、副作用が起きてくることを理解し、生体活性物質(毒としての性質を持つ)を記録してきました。食べ物の中に含まれる活性物質は、病気に効果のあることを見つけ、薬になりました。薬は、大事に知識を積み重ねてきました。

卵やミルクアレルギーが、一部の人で危険なものになりますが、これは、どう考えたら良いでしょうか?

卵やミルクは、食品ですから、安全なものなのです。しかし、場合により、生体活性として作用することがあります。その理由は、反応する人のほうに、病気があるためです。アレルギーのサイトで、又、説明いたしましょう。
このあたりの意味の違いに興味をもってみてください。

従来の食品メーカーは、安全でおいしいもの、即、売れるものを商品としてきました。
人々は、おいしいものを見分けることができます。ここも、薬とは違う点です。選択は、ユーザーが完全に判断できることです。

しかし、昨今、食品にも、問題が出てきました。
食品科学の進歩があり、従来の食品を改良して(時には改悪かも・・)、人工的に作られた食品が多く出回るようになりました。従来の食品を、人類が今まで体に入れてこなかった物質に変化させてしまったのです。

こうしたものは、人に特殊な反応を起こすことがあります。全員が反応する物質ではないことが多いのですが、人の免疫は小さな物質に反応するようになっています。人工的な食品が、人にどんな落とし穴をしかけるかは、現時点ではわかりません。

異常に反応する人が多くでてくる食品でなければ、その実態はつかめません。実際に被害者の数がおおくならないと、その食品の問題は見えてこないのです。ある頻度以上に、アレルギーが起きることが気づけば、注意喚起がされます。着色料、人口甘味料エスリトールなど、人に反応を起こす物質があることが指摘されています。
少し道がずれてしまった感があります。今後アレルギーの所で、また議論しましょう。

さて、話を元の食品と薬に戻します。
食品メーカーは、食品を売ると同じ考えで、薬類似商品(サプリなど)を売ります。
食品の場合は、おいしいから売れる、宣伝するから売れるはOKです。判断は、消費者にまかされています。

人は、危険がなく、おいしければ買います。さらに、健康に良ければ買いたくなります。でも、健康に良いってなんでしょうか?バランスの良い食事以上に、健康に良い食品って、あるのでしょうか?健康な人が、より、健康になるための物質など、世の中に存在しません。

食品は体に必須で、体をつくってくれるものと言えます。しかし長期的には、老化の原因にもなります。食べたものが、体のどこの成分として利用されたかはわかりません。

サプリは、人々の錯覚を誘う食品です。薬であるかのような錯覚を持たせるのです。それも、安全で効果があると思わせます。安全と効果は、相反する要素です。

もし、メーカーが効果の無いことを謳って商品を売れば、世の中をだましていることになります。しかし、それを規制するものはありません。メーカーは、健康に良いと信じています、と言えばすみます。薬のような効果があったら、安全であるとは、言えないのですけれど・・・。

日本で、食品として売るためには、食べて安全であることが要求されます。しかしこれ以外には、食品を売るメーカーに、課せられる義務がありません。体への効果については一切の規制がないのです。もちろん、食品では、直接的な作用はありません。体に作用しないから、副作用がないのです。

食品メーカーは、製薬メーカーのような義務つけれた規制が無いために、社内に、副作用についての経験が少なく、危機管理は不得意かもしれません。
最近は、一流食品メーカーといえど、根拠ないサプリ商品を出しています。
もし、体に変化を起こす物質であれば、必ず副作用があります。食品は、副作用を報告する義務はありません。

一人の男性、50歳台の方の誤解の紹介です。

医師からコレステロールが下がる薬を処方されていましたが、採血をされてお金がかかるのはいやだと言います。そこで、コレステロールが下がるという食品に切り替えました。彼のコレステロールは、その後、どうなったかは調べていません。

なぜ、医師は採血するのかについてですが、コレステロールが下がったかどうかを見るだけでなく、もっと大事なのは、この男性が薬に対して特殊反応をする体質を持ち合わせていないかをチェックするためです。コレステロールを下げる薬は、体の酵素を変化させる薬です。それが、人により重要な副作用を招くのです。重症は頻度は低いですが、軽微なものは、しばしばあります。

食品メーカーは、たまたま、うまく、コレステロールが下がった人がいれば、その人の経過をグラフにして、新聞に大きく載せることができます。100人にひとりなのか?1000人にひとりなのかわかりません。たまたま、下がったのか、他の原因で下がったのかを調べる必要もありません。

社員を動員して、あるいはボランチアを募って、良い効果がでるように誘導することもできます。外国の論文では、こうしたメーカーの内部研究では、信用されません。外部の人の研究においても、共同研究でも、データが操作されないように、利害関係を申告することになっています。利害関係があれば、おかしなデータを、すぐ調査できるようになっているのです。

日本では、こうしたことに注目せず、メーカー所属の研究所の内部データを使い、堂々と、宣伝に利用されています。内部データは、怪しまれているという認識が、メーカー側に、まったく無いためと思われます。と言うより、怪しむような人を、メーカーは売る相手としていないのかもしれません。

もし、コレステロールが、食品で下がり、そのしくみが解明されてしまった場合、それは薬剤となり、厳しい規制を受けることになります。コレステロールが下がる物質であると証明されたら、副作用が体におきることがあると予想されるからです。

人々が趣味で買う健康食品に、規制をかけていくのは、とても難しいことでしょう。
現状では、根拠ない商品が、一流新聞に一面広告を載せられる時代なのです。

中身のない、広告で売る時代なのだと思います。今後は、もう少し、望ましい方向へ向かうことを期待したいです。

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