病気の道筋

病気には道筋があります。

なぜ病気の症状は起きてくるのかを、考えることから始めましょう。
私たちが日常で「病気になった!」と気づく時の症状は、病気を治すための道筋と考えることができます。つまり症状が出るという事は、病気の封じ込めへの道筋なのです。

生き物が持つ病気を治す力を、免疫と呼びます。私たちが病気と考えている症状とは、この免疫がおこしています。つまり、自分自身が症状を起こしているのです。
それでは、なぜ、体に負担をかけても、病気の症状が出るのか?との疑問ですが、答えは、私たちの免疫が異物を感知し、排除しようとするからです。免疫は、熱、痛み、腫れなどを起こして異物を体外へと排除します。
異物は病原体とは限りません。体の老廃物や、分解物質なども含まれます。がんも異物の一種です。免疫は、生きるために不要と判断した物質を、体の外に追い出しています。免疫は、常に活動しています。

病気の症状は、人自らが起こしているというという考え方は、免疫のしくみが解明されてわかったことです。つい、50年くらい前では、まだ、詳細はわかりませんでした。人がなぜ、発熱するのかのしくみがわからなかったのです。今の考え方では、免疫細胞のつくるサイトカインと呼ばれる物質が、脳の発熱中枢を刺激して、筋肉などから、熱のエネルギーを出すのです。サイトカインが物質として測定可能になってから、急に進歩したのです。

発熱は、病気を治すために大事なしくみです。エネルギーが生み出せなくなる高齢者では、重大な病気があっても発熱しなくなります。
ところが、今でも、発熱を悪とする考え方がありますね。これを、東洋医学的と言う人もいます。昔の考え方です。発熱は悪いものなので、それを体内から追い出す必要があると説く考え方です。昔は、免疫のしくみを知らずして、権威ある人が直感的に考えたのでしょう。細菌やウイルスは、まだ、見ることができない昔でも、人から人へと病気がうつっていく様を、人々は見ていました。そして、伝染病のイメージは容易に持つことができました。”何か”が体に入り、”何か”が体を乗っ取っていくまで、熱や腫れをだして、暴れまわると考えたと思います。
今でも、風邪をひいたら早く鼻水をとめようとする考えた方に、引き継がれています。

紀元前から、東洋では、天然の物質から、体に作用する物質をみつけ、薬として知識を蓄積してました。しかし、残念ながら、東洋医学は、観念的なもの、権威ある人の教えから抜け出せず、”測定する”という科学的技術を発明できませんでした。

西洋医学がすばらしく進歩したのは、体の中の物質を測定することができるようになったためでした。その結果、研究者たちが共通の知識を持ち、正しいとされる知識の上に、次の正しいことが積み重なる、すなわち、西洋医学は科学として発達しました。

サイトカインも抗体も測定が可能になり、誰もが同じ考え方をするようになりました。ご高説をたれる偉い人は必要なくなったのです。東洋医学は、証拠を示すことができず、世界的評価から、取り残されました。

東洋医学は、熱だけでなく、腫れたりしても同様に”悪”と考えます。もんだり、マッサージして”悪”を追い出さなければいけないと、頑張る考え方です。今は西洋医学の手法を用いて、東洋医学を解明しようと努力が続いています。漢方薬の見直しなどですが、10種を超える草木由来の複雑な混合物としてしまったので、解明はうまくいっていません。名医の匙加減が過剰に評価されて、どんどん複雑化してしまったのでしょう。

地球上の生物たちは、陣地取り合戦である生存競争を通じて、ある場所を占領したり、あるいは他の生物との住みわけを繰り返しています。外にいる生物は、私たちの体内に侵入して、体内を占拠しようとします。この時、体内で病原体を待ちかまえる免疫は、異物の侵入を阻止しようと活動します。その結果、炎症と呼ばれる反応が起きます。読んで字のごとく体が燃えるのです。

炎症を起こすしくみは、動物は皆、持っています。そして、高等動物では、極めて巧妙な進化を遂げてきたいのです。
動物は間違えないように病原体を見つけて、やっつけます。相手が強ければ炎症を強化させます。多くの兵隊を炎症のある場所に呼び集めるのです。最初前線部隊が、次に精鋭部隊が出てきます。精鋭部隊は、獲得免疫と呼ばれる高度なしくみを持っています。

皮肉なことに、高度なしくみから先に、免疫のしくみが解明されていきました。獲得免疫は、抗体という物質の測定ができるようになってから、急に進歩したのです。測定可能となることで、証拠が示せて、ひとつの真実に向かうのです。

一方、前線部隊の解明は、かなり遅れました。前線部隊の免疫は、自然免疫と呼ばれますが、速やかに立ち上がり、証拠を残しにくく、消えてしまったりもするので、解明するのが困難だったのです。実際の体の中では、獲得免疫、自然免疫が、相互に密接に関係しあって、体を守っています。

しかし、一方で、複雑化した免疫は、新たな病気を起こすようになりました。つけとして、自己免疫という望ましくない病気が起きてしまうようになったのです。今後、別のサイトで考え方の紹介をしましょう。

まず、免疫を理解しやすいように、日常的に多い呼吸器の病気である風邪から考えてみます。ほとんどの病原体はウイルスですが、ウイルスは、最初、鼻や、咽頭にしがみつき、仲間を増やしながら、免疫からの攻撃をかわして、体の奥へと侵入します。
風邪の時に、先ず出る症状を、思い出してみましょう。
咳、くしゃみで、ウイルスを吹きとばしたり 
鼻汁 涙で、ウイルスを殺して流しだしたり 
血管内から兵隊(白血球や抗菌物質)を呼び寄せるので、ノドやハナは、赤く腫れたり痛んだりします。 

ウイルスを増やさないために、体内には、ウイルスを殺す物質が増えます。ウイルスを殺すためのさまざまな物質が体内で増えると、体はだるく、関節などが痛くなります。咳も鼻汁も痛みも、ウイルスを追い出すために必要なものです。
ウイルスが増えずに、すみやかに退散してしまう場合もあれば、逆にウイルスが強く、気管支、肺炎と広がることもあります。免疫は、ウイルス増殖を感じ取って、咳を強くし、痰を増やし、ウイルス封じ込め作戦を強めます。

抵抗力が十分に働いている人では、免疫によりウイルスは素早く排除され、症状が表面化せず病気と気づきません。病原体はすばやく免疫に消されてしまうのです。
一方、抵抗力の低い人はウイルスの増殖を許し、病気を悪化させてしまいます。

新型インフルエンザが、あれだけ恐れられたのは、この病気は重くなると予想されたからです。実際に、一部の人で重くなり、新型インフルエンザに負けそうになる人がいました。新しいウイルスを、うまく封じ込めることができない人がいたのです。人の免疫は個人で違い、多様性があり、誰でも得意分野と不得意分野があるのです。

人の反応は、さまざまであるように仕組まれています。

その結果、誰かが生き残りに成功します。今回、インフルエンザに弱かった人が、他の病気には強い能力があるかもしれないのです。

子どもは、高熱を出しやすく、ウイルス量も多い傾向にあります。大人は、多くの人が軽い咽頭炎でおさまるものの、一部で重くなる人がいます。この原因は、大人は過剰に反応が起きる場合があるからです。水ぼうそう、麻疹(はしか)でも、大人は重くなります。高度に発達した大人の免疫は、がんばりすぎてしまうのです。

小児期に獲得して高まった抵抗力は、その後もずっと続くわけではなく、残念なことに加齢に伴い免疫が衰え、再び病気に負けるようになるのです(涙!)。肺炎球菌のワクチンを打たなくてはならなくなります。肺炎球菌は、私たちの周りのどこにでもいます。鼻、手など、どこにでもいます。特に、子供は、この菌を多量に持っています。そして、大人は、この菌に抵抗力を持っています。めったなことでは、肺炎などにはなりません。

悲しいかな、せっかく身につけた抵抗力なのに、加齢による免疫の衰えとともに、消失していってしまうのです。それで、人工的なワクチンで補うわけです。

ここで、もうひとつ、大事なことがあります。
病原体は必ずしも外から体内に入るわけではない。
敵はいつも体外からくるのではなく、私たちの体は内なる病原微生物や病原物質をかかえています。
そのひとつは、私たちの体に長く住み着くウイルスたちです。ヘルペスウイルスや水ぼうそうウイルスは、初めて感染して症状が出た後も体内に少量ウイルスが残り、免疫にみつからぬように体内に密やかに住み続けます。

皮膚の表面にも、多くの細菌やカビが住みついています。腸内にもとんでもない量の腸内細菌がいます。これらの細菌は、普段、増えすぎないようにバランスをとって生き延びていますが、そのバランスが狂って暴れだし、病気の元になることがあります。
がんのように自らの体の一部だったものが、異常に増えてしまうことがあります。この時も、免疫は活躍します。

自己免疫疾患と言われる病気は、体の一部だった物質がうまく分解されなかったりして、病気の元(病原物質)になってしまうことで起きます。免疫が異常な構造物を危険物と判断すると、免疫は攻撃を開始して排除をしかけます。免疫が体の一部を病原物質と判断すれば、その体の部分は壊されてしまいます。

道筋を見据えて、治療の有効性を考える。

病気が起きる理由を考えて行くと、症状が出たらすぐ排除しようとあせったりするより、病気の質を考える方が大事であることがわかります。
抗菌グッズなど、あまり役にはたちません。人は、菌にさられせることにより、つよくなっていきます。しかし、不潔が良いといっているわけではありません。

慢性の病気に対しては、治療効果を長期的に考える必要があります。
どのような病気であっても、必然的な理由があって、症状は出ています。病気の理由は必ずしもわからないことがあります。

しかし、推定にしろ、治療には理由があります。
理由や根拠が説明できない治療には、疑う気持ちが大事です。
短期的には効果があっても、長期的にはだめな治療は多いものです。

さて、体内から病原体や異物が消えれば、症状は消えて行きます。

症状が無くなると、病気は治ったと考えて安心してしまうのですが、実はここで注意する視点が必要です。科学する心です。
実態は、免疫が止まったというより、免疫は判断して止めたのです。免疫は、過剰にならないように自らの活動を止めたのです。

免疫は、炎症を起こすと言う話をしましたが、免疫は、火事を起こして、同時にそれを止めることも、同時進行的にしているのです。

もし、免疫が攻撃の中止時期を判断できず、無駄な封じ込め作戦を続けてしまうと、体に害が及ぶようになります。この「適宜に止める」という働きは病気にならないためにとても大事なのです。

免疫を止める能力については、最近解明されてきた医学分野です。健康人におけるインフルエンザの重症化では、免疫の暴走により命を落とすことになるようです。

体内から病原体や異物を消すためにも、免疫が活躍しています。

体内に進入した病原体が、あるいは、体内に抱え込んでいる病原体が、どちらも、体内で増殖体制にならないために、免疫が活躍しているという話をしてきました。
免疫は、病原体を殺して、消去しています。007のように、跡形なく、消去しています。うまく消去できず、一部の病原体のかけらが残ってしまうと、これが体に不都合な症状を起こすことがあります。いわゆる、自己免疫疾患です。

自己免疫疾患は、自分で自分の大事な部分を壊してしまう病気です。
これが起きてきてしまう機序は不明ですが、病原体が壊れるときの状態が関係しているらしいことがわかってきました。
病原体は、ばらばらにされて最後は、食細胞と呼ばれる白血球の仲間に食われて消滅するらしいのですが、この時に、食細胞は、自己免疫が起きないための情報発信をするらしいです。つまり、食細胞が、取り込んだ異物を分解する過程で、異物が他の免疫細胞を刺激しないような情報を出すらしいです。

たとえば、ペアでやるスポーツでは、お互いが同じ動作をしないように、合図を出し合いますが、それと同じようなことを、免疫細胞がやっているようです。

食細胞は、うまく異物を処理できないまま死んでしまったりすることがありますが、こうした場合も、自己免疫にならないような調節が働いています。

残念ながら、この処理はいつも、うまくいくわけではなく、たとえば、心臓の冠動脈において、食細胞がコレステロールを食ったまま死んでしまうと、食細胞は、そのまま冠動脈の内部で塊となり、冠動脈を狭くさせてしまいます。すると、起きるのは心筋梗塞ですね。

免疫が止まらない結果、起きてしまう病気があります。
過剰な免疫により起きてくる病気に、アレルギーの病気や自己免疫疾患病があります。
アレルギーは、免疫による過剰な排除活動により起きます。花粉症や喘息などの症状を思い浮かべると、理解しやすいです。

自己免疫疾患は、変性した体の一部に対する、攻撃反応であると上で書きました。
健康な人では、攻撃に従事する免疫系と、それを抑えることに従事する免疫系が、バランスをとっています。体に害が及ぶ過剰な免疫とならぬように、免疫が免疫を抑えているのです。
本来、病気を治すための反応はすみやかに進行してほしいものですが、いつも期待どおりとは限りません。免疫はいつも厳密に管理されているようで、そうでもないのです。

もし、難治な病気を得た時には・・・
その病気は、たまたま起きたのではありません。体の中では病気の発症を防ごうと、さまざまなしくみが働きました。でも病気になる力の方が強かったのです。一旦破たんしたしくみを、元にもどすことはしばしば困難です・・・。

病気が治らない時、元にもどらない時、人は誰でも落ち込みますが、落ち込みを最低限としたいものです。病気の道筋を理解すれば、落ち込みを軽減させるのに役立つかもしれません。落ち込みは、結局、抱えてしまった病気を悪くしてしまうのです。自分で気持ちを持ち上げることは大事ですし、回復への早道となります。

免疫を健全に維持することは、健康維持の根幹です。

月並みですが、活気ある毎日と、十分な睡眠と休養、楽しい食事、ストレスをためない心などが私たちの心と体を守ります。勿論、タバコ、アルコールは、体に負担です。
幸福感と満足感が得られる毎日こそ、免疫を高めることにつながります。薬やサプリではこうした効果は期待できません。老化を止める物質などはありません。老化を止める力は、あなたの中にあるのです。

病気を得た時、どこかに良い薬があるはず、どこかに治す人がいるはずとすがる心は、短期的な救いにすぎません。むしろ、その後の落ち込みが大きいものです。

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